父親


(2000/1/20)

父親というものは、息子に自分の生き方をなぞって欲しいと思うものなのだろうか。自営業の親父が息子に店を継いで欲しいと思うように。
ある大学教授の息子が、進路の話をしていたときに”オヤジは博士に進学してほしいと思っている”ということを言っていた。
自分の生き方を、自分の”分身”である息子がなぞることにより、「自分は間違っていなかった」ということを確認したいという無意識的なものが働くのだろうか。そうすることで人生の満足度を測るのであろうか。
一方、「自分はできなかったから、息子は勉強したいときにしておいて欲しい」という父親も多いようだ。自分のできなかったこと、果たせなかったことをやはり息子に託す、いいかえれば息子というフィルタを通して再び夢をみる、やりたいことをするのだろう。

この二つは全く逆のことかもしれないが、”一人の人間として”の父親、を考えさせられる。どちらにせよ、父親は息子という”何にもかえがたい自分の一部”に、何らかの心的なものを投影していることに間違いはないだろう。

だが相手が娘だと全く異なる。
女はこうあるべきだというような男女観を、妻よりも娘に要求するのだろうか。やはり父親にとって子供は娘よりも息子が”より好ましい”のではないか。(そう言う意味ではうちの父親は不幸であると言えるだろう。)

一方、母親はというと、母親も息子を(父親とは少し違う意味で)溺愛する。
なぜだか全く分からないが、私の知る男の人の多くは、おせっかいなまで母親がいろいろ世話を焼こうとし、他人の目からみても”愛されてるな〜”と思わせる。
男にマザコンが多いのも、女よりも精神的に大人になるのが遅いといわれているのもそのせいだろう。
基本的に、女は同性に厳しい。そういった性質もあいまって、息子の方がかわいいと思うのだろうか。だがどう考えても娘に対する愛情の方が息子に対するものよりも無駄がないというか、見返りが大きい(息子の方はえてしてその愛情をウザいとか感じ、それに気付き感謝するのは比較的遅いと思う)と思うのだがどうだろうか。